平成27年4月号 シブヤン海に消えた「武蔵」〜奮闘!栗田艦隊〜

前回の西村艦隊に続いて、今回は「武蔵」発見!にちなんで栗田艦隊。

 
(エフトイズ「艦船キットコレクション4 マリアナ沖1944」の「武蔵」フルハルバージョン)

レイテ湾突入を命じられた栗田艦隊は、泊地のブルネイを出港したときには戦艦5隻、重巡10隻、軽巡2隻、駆逐艦15隻、計32隻からなる大艦隊であった。

【栗田艦隊の編成】 
 
 第一遊撃部隊第一部隊
  第一戦隊 戦艦「大和」「武蔵」「長門」
  第四戦隊 重巡「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」
  第五戦隊 重巡「妙高」「羽黒」
  第二水雷戦隊 軽巡「能代」 駆逐艦「早霜」「秋霜」「長波」「朝霜」「岸波」「沖波」「島風」「浜波」「藤波」

 第一遊撃部隊第二部隊
  第三戦隊 戦艦「金剛」「榛名」
  第七戦隊 重巡「熊野」「鈴谷」「利根」「筑摩」
  第十戦隊 軽巡「矢矧」 駆逐艦「浦風」「磯風」「浜風」「雪風」「清霜」「野分」

 (下線を引いた艦は「艦船キットコレクション」でキット化されているもの。駆逐艦は陽炎型の「雪風」「磯風」がキット化されているので
  同型艦の「浦風」「浜風」「野分」は代用可能。)

昭和19年10月22日にブルネイを出港した時の栗田艦隊(第一部隊)

 
 手前から第一戦隊の戦艦「大和」「武蔵」「長門」、奥が第四戦隊の「愛宕」「高雄」。

威風堂々とした栗田艦隊ではあったが、レイテ湾までの道のりは受難の連続であった。
10月23日にはパラワン水道で米潜水艦の雷撃を受け、栗田中将の旗艦「愛宕」は撃沈され、「摩耶」も轟沈、大破した「高雄」はブルネイに引き返した。
栗田中将はじめ幕僚たちは海上に投げ出されたあと駆逐艦に救出され、宇垣中将率いる第一戦隊旗艦「大和」に移った。
続いて翌24日にはシブヤン海でハルゼー中将の機動部隊の五回にわたる延べ200機以上もの艦載機の攻撃を受け、「武蔵」は沈没、速力が低下した「妙高」は
戦線を離脱し、他にも命中弾などにより「長門」や「利根」が損傷した。

大きな損害を受けた栗田艦隊は、いったん反転したが、ハルゼー機動部隊が小沢艦隊を求めて北上したため米艦載機の攻撃が止んだので、ふたたびレイテ湾をめざして反転した。

そして10月25日、栗田艦隊はサマール沖で空母部隊を捕捉した。
実はこの部隊はハルゼー機動部隊でなく、キンケード中将の第七艦隊隷下の三つの護衛空母群の一つ、クリフトン・スプレイグ少将率いる第三集団
(護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻)であったが、それでもこの弱小部隊の必死の抵抗にあい、艦載機の雷爆撃により「鳥海」「鈴谷」「筑摩」が沈没してしまった。

この後、栗田艦隊は反転し、レイテ湾には突入しなかった。
後世「謎の反転」と批判されるが、三日間敵の攻撃を受け続けて戦力が激減し、また、北方におびき出されたハルゼー機動部隊がいつ戻ってくるかわからない状況
の中では、一刻でも早く戦線を離脱しなければという判断があってもやむをえなかったのではないかと思う。

 栗田艦隊はコレクションボックスに収めようとすると、こんなにぎっしりになってしまう。
 

さて、次は見事にハルゼー機動部隊をおびき寄せた小沢艦隊を紹介します。

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