マレー沖海戦(昭和16年12月10日)

 「敵主力見ユ  1145」
 12月10日11時45分。日本軍のマレー攻略船団を攻撃するためシンガポールのセレター軍港を出撃したイギリス東洋艦隊「Z部隊」を発見した元山航空隊の索敵隊・帆足正音予備少尉機から第1報が飛んだ。
 最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」、駆逐艦4隻からなる「Z部隊」を指揮するのはイギリス東洋艦隊司令長官 サー・トム・フィリップス大将。日本軍の船団を発見できず、攻撃を断念してシンガポールへの帰路につくところだった。
 写真左は手前から戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、駆逐艦「エレクトラ」、巡洋戦艦「レパルス」。いずれもタミヤ1/700。真中の写真は前から見たところ。右の写真は上から見たところ。
    

 帆足機からの電報を受けて、すでに敵を求めて三々五々出撃していた甲空襲部隊(元山航空隊)、乙空襲部隊(美幌航空隊)、丁空襲部隊(鹿屋航空隊)の九六式陸上攻撃機59機(雷装25機、爆装34機)、一式陸上攻撃機26機(すべて雷装)は目標地点に向かった。
 写真左は英国艦隊上空を飛ぶ帆足少尉操縦の九六式陸上攻撃機(索敵隊のため兵装は軽くしていたので60キロ陸用爆弾×2)。
 最初に到着したのは、乙空襲部隊白井義視大尉率いる九六式陸攻隊(250キロ通常爆弾×1)。(写真 中、右)
   

 続いて雷撃、爆撃と続き、しんがりは壹岐春記大尉の一式陸攻隊(雷装)。
  

 攻撃開始から2時間近くが経過した。「レパルス」は転覆して沈没し、「プリンス・オブ・ウェールズ」は左に大きく傾斜し、大爆発をおこして沈没した。
 旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」に座乗していたフィリップス長官は、退艦を懇願する参謀たちに「ノー・サンキュウ」と言って艦と運命を共にした。
 写真左は「プリンス・オブ・ウェールズ」のアップ。波に半分埋もれてしまい、よくわからなくなってしまったが、舷側の迷彩塗装は苦労した。
 「エレクトラ」はじめ駆逐艦は生存者を救出してセレター軍港に帰着した。
 しんがりをつとめた壱岐大尉は12月18日の出撃の際、「レパルス」と「プリンス・オブ・ウェールズ」の沈没地点に花束を2つ投下した。一つは戦死した戦友、部下のため、一つはイギリス将兵のために。
     
 
 

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