1 海上自衛隊創設期の護衛艦

(1)DE-261 わかば

 米軍からの貸与艦が中心だった初期の護衛艦の中にあって、唯一、海上自衛隊が帝国海軍から引き継いだ戦闘艦艇「わかば」。
 前身は、改丁型(「橘」型)駆逐艦の「梨」。
 昭和20年3月15日に竣工した「梨」は、同年7月28日に米軍艦上機の攻撃で瀬戸内海の柳井沖で撃沈され、わずか4ケ月余りの短い生涯を終えたはず
であったが、スクラップにするため昭和29年9月に引き揚げたところ、船体、機関とも傷み具合はそれほどでもなかったので、改修の末、昭和31年5月に
護衛艦「わかば」として再就役を果たしたという変わった経歴をもっている。
 当初は兵装を搭載しないで、主に練習用護衛艦として使われたが、昭和33年以降、改修を重ね、兵装や対空レーダーなどを装備して、昭和35年1月
には第6護衛隊に編入され、米国からの貸与艦「あさひ」「はつひ」と行動をともにした。
 その後、昭和36年4月1日には実用実験隊に配属になり、以後はT3ソナーや長魚雷など新兵器の実用実験のための実験艦として活躍することになる。
 作例は、昭和38年に53cm連装魚雷発射管を装備したときの姿を再現したもの。
 艦橋の上に設置されたひときわ大きなSPS-8B高角測定レーダーが特徴的。

  

 戦時急造の簡易型駆逐艦として建造された丁型(「松」型)と改丁(「橘」型)駆逐艦はそれぞれ20隻、12隻、合計32隻が完成し、戦没したのが10隻(「梨」
を含む)。戦後も残存した22隻のうち、健在だった17隻は復員輸送業務に従事した後、連合国に賠償艦として引き渡され、米軍機の攻撃や触雷により損
傷していた5隻は昭和22年から23年にかけて解体された。
 しかし、「梨」は沈没して、海底に沈んでいたからこそ賠償艦にならなかったし、戦後すぐに解体されることもなかった。
 そして、引き揚げられた昭和29年といえば、折しも海上自衛隊が創設され、海上兵力の増強が求められていた時。「わかば」は絶好のタイミングで引き
揚げられ、その後は、開発された兵器や装備品の実用化に大きな役割を果たした。
 基準排水量1,250t、全長100mの小さな船体であったが、海上自衛隊の発展に大きく貢献した「わかば」もさすがに艦齢26年目を迎えた昭和46年3月31日
に除籍、昭和50年に解体されて、30年にわたる生涯に終止符を打った。
 ひとこと「お疲れ様」と言いたい。そういった気持ちを込めて、この「海上自衛隊護衛艦史」のトップバッターとして作成した。
 

 ところで、このケースは以前、100円ショップのCanDoで購入したもの。幅が約19pあり、1/700であれば駆逐艦や潜水艦、初期の護衛艦ならすっぽり
入るし、高さも適度で積み重ねることもできるので重宝している。今ではもう店頭で見かけないが、買いだめしていたのでしばらくは大丈夫。
 キットはピットロードの1/700「わかば」。
 海面はスチレンボードに青色セロハンをくしゃくしゃにして貼り付けたもの、背景はうすい青色の画用紙、ネームプレートはボックスから切り抜いたものを
利用した。

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